AIにできないこと
先日、長濱創造博の事前説明会のセミナーにて、AIで音楽やイラストを生成する際のリスクについてお話しさせていただきました。著作権や法的な課題など、語るべき論点は多岐にわたりますが、今回はその場でお話ししたこととは少し別の視点から、AIとクリエイターの関わりについて考えてみたいと思います。
結論から言えば、AIを使って作品を生成するだけで終わってしまう人は、「本来のクリエイターのコミュニティに加わることができない」ということです。

音楽制作をしていると、仲間同士で「あの曲ではどんな機材やソフトを使ったのか」「あの作業の時はこんな苦労があった」といった話をよくします。クリエイターであれば、ジャンルを問わずこうした経験があるはずです。
これらはインターネット上の単なる一般論だけではなく、自分が直接体験したことで得られた「暗黙知」でもあります。そして、これこそがAIのデータ収集プロセスにおいて、最も吸い取りにくい領域なのです。
さらに重要なのは、こうした苦労やノウハウを共有するという行為そのものが、その共感を通じてコミュニティの形成に繋がるということです。AIは、客観的に見てどんなに高度で美しいものを出力できたとしても、決してそのコミュニティの「当事者」にはなることはできません。
コミュニティを育てるという価値
海外の音楽シーンを見渡すと、トラックメイカー(作曲家)とDJを兼任しているアーティストが多く見受けられます。逆にDJからトラックメイカーになった人もいます。彼らが世界的に評価されている理由は、単に優れた楽曲をリリースしているからだけではありません。DJとして現場に立ち、自らの足でそのシーン(コミュニティ)を広げ、熱狂を生み出すことに貢献しているからです。

私も含め、長浜に住んでいる方の多くは、町内会をはじめとする地元のコミュニティに属していることと思います。若い世代や都会に住む方の中には、こうした「村社会的」なつながりを敬遠する人もいるかもしれません。
しかし私は、この「最も身近なローカルのコミュニティ」こそ、疎かにしてはいけないと考えています。なぜなら、自分の足元にある一番小さな場所を大事にできない人が、社会を動かすような大きな事業や文化的なシーンを築き上げることなど、到底できないと思うからです。それはネット上のコミュニティであっても、本質的なものは変わりません。
アドラー心理学における「共同体感覚」と「他者貢献」
ここで少し、アドラー心理学の考え方を借りてみたいと思います。オーストリアの精神科医アルフレッド・アドラーが提唱したこの心理学は、「人間の幸福は対人関係の中にある」と説いています。そして、人が幸せに生きるための最も重要な指標として「共同体感覚」を挙げています。これは、自分がコミュニティの一部であり、「ここに自分の居場所がある」と感じ、他者を仲間として関心を寄せる感覚のことです。
一方で、コミュニティに関わるということは、何か目に見える成果や数値といった「定量的な貢献」をしなければならないと身構えてしまうかもしれませんが、決してそうではありません。アドラー心理学にはもう一つ、「他者貢献」という重要なキーワードがあります。これは、自己犠牲を払って偉大なことを成し遂げることではなく、「自分は誰かの役に立っている」という実感を持つこと自体に価値を見出す考え方です。
大切なのは、数字に表れる実績を出すことではなく、そのコミュニティの一員であるという「自分なりの責任」を引き受けることです。たとえささいな役割であっても「自分は共同体の役に立っている」という他者貢献の実感が生まれ、それが結果として、自分自身の揺るぎない居場所(共同体感覚 )を作っていくのだと思います。

泥臭さこそが、次代の武器になる
これまでであれば、「ネット上で突如認知された謎のアーティスト」というような広まり方もあったでしょう。しかし、テクノロジーが極度に発達し、誰もがAIで簡単に「それらしいもの」を作れるようになった今、そうしたやり方でやっていくことは難しいかもしれません。
これからの時代は原点に立ち返り、自分の名前と顔を出し、泥臭く地に足のついた活動をしていくこと。現場で仲間と汗をかき、苦労を分かち合い、コミュニティを育てていくこと。 遠回りに見えるかもしれませんが、こうした活動こそが確かな成果に繋がっていくのだと思います。

